母が試しに二階で寝てみたそうです。
「住み心地悪い、大変だったね」
って。
二階は空気が籠って暑かったり、雨音が響いたりと一階との違いはありました。
でも私は「住み心地悪い」と思ったことは一度もありません。
なぜなら、
最初からそれだから。
母は快適な一階から来たから比較してそう思うだけであって、
二階の住民からすればそれが普通だから何とも思わないのです。
同じような体験があるのではないでしょうか。
快適な場を知るまでは、今の場が不快だったことにも気付かない。
ずっと快適な所でしか生きてこなくて、それ以外の環境を知らない。
って人が世の中にいるかもしれません。
反対に、はたから見れば不快かもしれないけど、それを普通として生きている人もいます。普通として生きていくしかない人もいます。
どちらも経験してみるのがいいのではないでしょうか。
「今はエアコンがあっていいなあ。昔は汗だくで授業受けてたし夜も眠れなかったよ」「自分が働くまで気付けなかった。お金を稼ぐって大変なんだね。学校に行かせてくれて育ててくれてありがとう」
不快を知ってからずっと快適で生きていくのにしろ、快適しか知らなかったけど他の世界があることを知るのにしろ
ありがたみが分かるんじゃないかなあ
なんてね。